いきなり工務店の社長になってみたものの右や左も分からない若造においそれと仕事を任せてくださるような方はまれでした。
日々の仕事は、好き嫌いにかかわらずほとんどが下請け仕事。ハウスメーカーからゼネコンまであらゆる会社の仕事を請け負いました。
「家は大工の腕でその善し悪しが決まる」これが先代の口癖でした。いい職人を育ててくれていたおかげで下請け仕事はそれなりにありました。
しかし、立場が弱いので値段はまっ先に叩かれ利益どころか経費も出ない仕事ばかりで本当にお金のことばかり毎日考えていました。
サラリーマン時代は、かなりの給料をいただいていたので生活に困るなんて夢にも思っていませんでした。
だけど下請け工務店の社長は、まず会社のことまた職人のことを考えなくてはなりません。自分の家族のことは後回しにせざるを得ませんでした。
収入が以前の3分の1いえ4分の1になった時、とうとう家内の心は破綻してしまったのです。慣れない土地でまだ小さな長女と生まれたばかりの次女を抱えて、毎晩泣いていたのです。
私も毎日仕事で帰りが遅く、休日も取れない日々が続き夫婦の会話そのものがなかったのが原因かもしれません。
「妻と子供たちのために」来る日も来る日も仕事と勉強をほとんど寝ずにがんばりました。でも事態は悪化する一方で会社も家庭も崩壊寸前まで来ていました。
告白しますが、一度あまりに厳しいので材料代を浮かせるため規定のものより品質が劣るものを使用したことがありました。
元請けの監督さんなんか、日々進歩し変わっていく住宅の材料や規定のことについて行けていない。大手メーカーもそれが現実です。
ある日、その現場へお施主様が差し入れを持って現れたのです。
私の子供よりひとつぐらい年長の女の子でした。「こんにちは」その子は私に舌っ足らずな言葉であいさつをしてくれました。まだ若いお施主様ご夫婦もニコニコ終始笑顔で、自分たちの「幸福の城」を長い時間ご覧になっていました。
お帰りになった後で私の心は張り裂けんばかりに痛みました。
あの若いご夫婦と女の子の「幸福の城」を私の独りよがりの思いがぶち壊していたのです。
プライドを捨てた仕事がどれほどおぞましいものなのか、自分の子供たちに胸を張って言えない仕事など本当にクソだと自己嫌悪に陥り情けない思いが込み上げてきました。
すぐ大工に指示し、全部の床板をまくり、下地をやり代えました。そうしないとこの仕事を、この会社を、これ以上続けていく自信が湧いてこなかったのです。
もちろんその時はゼニ金の問題ではなく、使命感とプライド、大げさに言えば「自分の生まれてきた原点」に立ち返るべきだと思ったのです。
それと、ここまで追い詰められた下請け仕事はもう辞めよう。そして当社の長年養ってきた伝統の匠の技と下請け時代と県外の同業者から教えていただいた合理的なローコスト技術を駆使し圧倒的に高性能な「子育て世代のためのローコスト住宅」を地域に広めようと決意しました。
そして二度と手抜きのようなバカなことはしないそう自分と社員と家族に誓いました。
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